——原作・矢口先生と漫画・立沢さんに、『バーサス魚紳さん!』の誕生秘話などお聞かせ願えればと思います。前号でこのような告知が掲載されました。
——魚紳さんのモデルがいるというのは、ファンの間では有名ですが?
漫画家・矢口高雄はかなり異色の経歴を持っている。秋田に生まれた矢口は、高校卒業後、現在の羽後銀行に12年間勤務し、30歳のときに一念発起して漫画家を目指した。これは漫画家前夜の銀行員時代の話である。
その後、矢口は銀行支店転勤を繰り返すが、いよいよ意を決して昭和45年に銀行を退職、上京。漫画家を目指し、小学館から『鮎』でデビューし、昭和48年に講談社「週刊少年マガジン」にて『釣りキチ三平』の連載を開始する。
「三日月湖の野鯉」では、三平が見事、野鯉を釣り上げて魚紳との勝負に勝利し、魚紳は「これで失礼します。三平くんによろしく」と言って去る。その時、三平は激闘の疲れからか、コンコンと眠り続けている……というラストシーンになる。次の登場は巨大な滝太郎という魚と対決する「O池の滝太郎」というシリーズである。1975年当時、まだ珍しかった「ルアー」が紹介されており、『釣りキチ三平』で新しい釣りを知った読者も多かった。
魚紳登場1話目「三日月湖の野鯉」のラストで「三平くんに海をやらせてみたい」と語っているように、初めての海釣りに三平を連れて来た魚紳。石鯛を狙うシリーズである「磯の王者」は“魚紳史”の中ではエポックな話となる。ここでは、幼い頃の魚紳が、父親が投げたタックルの針が目に刺さり、片目を失ったという秘話が披露されているのだ。実は魚紳はその顔を見せないように家を出た。このシリーズでは数年ぶりに両親と再会するシーンが感動的に描かれている。
——先生のコンプレックスですか?
「イトウの原野」は、『釣りキチ三平』の中ではエポックとなるシリーズだ。北海道の根釧平野にてイトウにアタックする話は、実際に矢口が取材した体験がベースになっている。そこでは三平の父親のドラマに触れられているが、そこでも魚紳は重要な役回りを務めている。
——一度、「平成版」で魚紳さんの自宅の部屋が描かれた時、もう矢口先生のお宅そのまんまですもんね。伺ってからわかりました。魚拓があって、大きなスピーカーがあって……。
——矢口先生のメッセージ、「想い」がつまった「魚紳」というキャラクターが今回再生復活することについて、考えを御聞かせください。
——エリートである銀行員の職を捨てて、マンガの道を志したのはお金に関する幸福を考え続けたらからなんでしょうか?
——「祈願日本一周釣行脚」というのも、矢口先生の願望だったんでしょうか?
——最後にメッセージをお願いします。
——ありがとうございました! 次号よりいよいよ開始! 乞うご期待!